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【高田のはなし】海と生きる

今から55年前の1960年5月24日、南米チリで発生した巨大地震による津波が、太平洋を越えて日本に被害をもたらしました。
チリ地震津波が襲来した日を前に、今回は海と共にあった三陸の歴史を少しお話しします。

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(※写真は穏やかな5月の広田湾)

本震は日本時間の5月23日早朝、マグニチュードは歴史上最大規模のマグニチュード9.5とされる大きな地震で、チリでは多くの方が犠牲になりました。
この大きな地震により、チリ沿岸を大きな津波が襲いました。
そして、津波は広い太平洋を越え、地球の裏側にある日本にも到達しました。
東日本大震災の以前には、高田松原にこの時の浸水高を示す標識があり、4メートルの記録が残っています。

この経験から、陸前高田市では津波が襲来した5月24日付近に、津波防災訓練を行っていた地区もありました。
時刻は早朝。サイレンの後、「訓練、津波警報が発令されました」のアナウンスが流れ、
それぞれの指定避難所へ避難しました。
訓練以外でも、地域の歴史を学ぶ一環として、お年寄りから過去の津波の経験を聞く機会も多くあり、
そうして日頃から防災の意識づけを行うことで、助かった命もあったことと思います。

チリ地震以前にも、明治三陸地震、昭和三陸地震等、三陸沿岸の各市町は、何度も津波により大きく被災してきました。
そして、その度に多くの人たちの支援を受けながら、まちを復興してきました。
何度でも立ち上がり、より強く、より良いまちをつくってきた先輩たちの歴史も、
三陸に暮らす私たちが持つ、大切な歴史の一つです。
海と共に生きる三陸の人々の歴史は、津波とそこからの復興の歴史とも、言えるのかもしれません。

カテゴリー: 高田のはなし 






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